2021の初夢
そういえば私はブログを開設していたのだった。
最後に記事を書いてから2年余り。自分でもこのブログの存在をすっかり忘れてしまっていた。
今、私は、埃を払い、蜘蛛の巣を掻き分けるような気分で、このはてなブログに向き合っている。
どうしてこんな廃墟のようなサイトを、今さら活用しているのか。
昨夜、我ながら興味深い初夢を見たのだ。
それは今年の、取り分け私の仕事に対する向き合い方を暗示しているのではないかと思われるような内容に思われたので、忘れないうちに記しておきたいという欲求に駆られたのだった。
しかしながらその内容は、Twitterに書いてフォロワーのTLを賑わすほどのものでもないので、ここに備忘録代わりに書いておこうと思った次第である。
そもそも、起きた後も自分が見た夢を覚えていて、かつその内容が自分でも面白いと思えるということは、そうそうないことである。
それでいて、面白いと思える夢を人に話すことがあるかと聞かれたら、ないという人の方が多数派ではないだろうか?
仮に伝えたいという欲求に駆られたとしても、それを可能とする言語能力に恵まれた人は、いったいどれだけいるのだろう。
夢というのは、えてして不条理な物語である。
人に理解を得てもらおうとしても、なかなかそれを言葉では伝えられない性質であることが多い。
ただでさえ、私たちは、合理性、生産性、即効性が常に要求される社会に生きているのである。
自分が見た夢を、叙景的に語るだけの能力があり、かつそれにゆっくりと耳を傾けてくれる知人がいたとするならば、その人はたいへんな幸運の持ち主であろう。
むしろ、そのような他愛のない話に時間を費やすだけの余裕を持ちたいものである。
ちなみに、私のブログの第1回のテーマは、Twitterにおける自身の名前の由来であり、実はこれも自分が見た夢がきっかけなので、今これを読んでくれている人は、せっかくなのでそちらの方も御覧になっていただきたい。
https://gmss.hatenablog.com/entry/2018/08/10/225312
さて、前置きはこのくらいにして、ここから本題である「私が見た2021年の初夢」について記す。
もうここまで見てくれた人に対してこんなことを言うのも不粋かもしれないが、本当に大した山場もオチもない話なので、過度な期待はしないで欲しい。
__気がつけば私は、ある棟の中に居た。
それは、市役所や警察署、あるいは国立大学などの公共機関などにありがちな、コンクリート造りに白い塗装をしただけの、デザイン性のない、寒々しい建物であった。
その最上階、7階くらいだっただろうか? に私は居たのだ。
そのフロアは、可動式と思われる書棚が壁の代わりをしていた。
書棚には、隙間なく、ぎっしりと本が並んでいた。
「これらは一体何の本だろう?」
私はその書棚に近付いてみた。
背表紙を見ると、ほぼ全てが私の知らない書物だ。
中には、英語で書かれた…いや、この綴りは英語ではない。ドイツ語か、フランス語か?の本も並んでいる。
いったいこの空間は何なのだ。
すると、不意に私の近くで、ある男性の声がした。
「私はこういうところに埋もれながらひっそりと仕事をする者だ。この組織の末席で、一人くらい私のような人間が居ても構わんだろう?」
私が右側へと顔を向けると、安楽椅子に座って、足を組んでいる男性の姿があった。
年齢は、50代くらいであろうか?中肉中背でセーターを着た、落ち着いた雰囲気の、いかにも日々の生活に余裕がありそうな人物であった。
男性の目の前には、スーツ姿の若い男が立っていた。
明らかに私よりも若い。
新入社員か、もしかしたらインターンシップの大学生かもしれない。
どうやら、椅子に座ったその男性は、私ではなくその若いスーツ姿の男に語っているらしい。
「まあ一見無駄なものばかりに囲まれている。実際大半は無駄なものばかりなのさ。でもこういう空間で過ごす日々が、私にとっての何よりの幸福なんだ。そして、こういう人間の存在を許せる組織でなければいけないのだよ」
「はい、本当に、仰るとおりです…」
若い男の方は、終始恐縮した様子である。
そしてその男は、床から天井へと至るその大きな本棚へと近付き、背表紙を眺めながら言った。
「この中には…先生が書いた本はないのですか」
先生と呼ばれた男性は、少し考えて、
「私が書いた本というのはいくつか存在する。だが、この棚にそれが有ったかなあ…」
と、思案顔で本棚を眺めながら言った。
いや待て。
そもそもここは何処なんだ?
椅子に座ったこの中年男性も、スーツ姿の若い男も、私は知らない。一体何者だ?
まあこのフロアの雰囲気は、私の職場に似てなくもないのだが…
「あ、ありましたよ、先生の本」
スーツ姿の若い男が、一冊の本を手に取って、『先生』と呼ぶ男性の傍らに向かった。
「ああ、そんなのが有ったんだな」
『先生』は、さして興味無さげに、そう呟いた。
「先生、実を言うと、僕は今、すごく緊張しています。単に年上の人を前にしているからではなく、何かこう、自分より優れた人に対する畏怖というか、そんな、素朴なものから来る緊張に慄然としているのを実感しているんです」
若い男がそう言うと、『先生』は愉快そうに笑った。
「私はそんな大したものじゃないよ。私はただ、ちょっと通常とは異なる道を歩んだだけだよ…。まあ、この組織では、皆ゼネラリストを求められているんだが、私はそれに反発して、マニアックな専門家の道を志向して、気がついたら、こういうポジションに収まっていた、と…、その程度の話なんだよ。本当にそれだけの話なんだ。私は、今ここにいる職員たちのような仕事の仕方はできないよ。そもそも、やりたくなかったんだよなあ」
若い男は、どこが清々しい表情で、その「ここにいる職員たち」の方に目を向け、そちらへと歩きだした。
私はその時になって、初めて気が付いた。
本棚に囲まれたその空間の外側には、私と同じくらい年頃の職員たちが大勢居て、各々が仕事をしていたのだ。
その階は、私が思っていたよりもずっと広かった。
今まで私たちが居たそこは、大きな本棚によって建物の隅っこを囲っていただけで、実際はものすごく大きなフロアだったのだ。
見渡してみると、やはり大きな本棚が縦横無尽に設置してある。
しかし、『先生』の周辺と明らかに違うのは、本棚の中にあるのは本ではなく、全てファイルであるということだった。
職員たちは、そのファイルを取り出し、必死に調べものをしている。
それは、書物に囲まれて優雅な雰囲気の『先生』とは対照的な光景であった。
私はそれを目の当たりにして、彼らにこう言いたくなった。
「みんな、そんな風にファイルを漁ってもつまらないし、無駄なことなんじゃないか。それよりも、先生の周りの書物を読むか、それか先生に聞いてみる方が、ずっと手っ取り早いんじゃないのか」
何か根拠がある訳じゃない。
そもそも彼らが何を調べているのかさえ、私は知らない。
それでも、私は彼らが大切なものを見逃し、つまらない仕事に没頭しているような気がして堪らなくなったのだ。
みんなが今必要としていることは、今必要ではないものの山の中から自分で見つけ出す。
それは一見面倒くさくて、時間がかかるようでいて、結果的に最も効率のよい方法となるんじゃないか。そんな思いが私の頭を過ったのだった。
しかしその時の私は、そんな彼らのことよりも、どこぞへと行ったスーツ姿の若い男の行方が何故か気になっていた。
私は辛気臭く仕事をしている人々の群れの中を走り行き、男を探した。
そして私は階段へとたどり着き、友人と談笑する男の姿を見つけたのだ。
私はそこで立ち尽くした。
男が談笑しているその友人、それは、私の大学時代の友人であったのだ。
ここで私は、ある「予感」が、ゆっくりと確信へと変わる気配を感じた。
スーツ姿の若い男。
それは、十年くらい前の、それなりに夢のある将来を思い浮かべていた、かつての自分の姿なんだ。
そして、
さっき見た中年の男は、
自分が漠然と思い浮かべていた、将来なりたい自分の姿だったんじゃないか、と………。
誰とも話したくないある日の雑記
このブログが日の目を見るのはいつだろう。
明日か、
明後日か、
半年後か、
10年後か。
永遠に公開されない可能性も高い。
まあ、それでもいい。そのおかげで今私は自由な心地で言葉を紡ぐことができている。
今は11月30日の午後11時。金曜日のこの時間は一週間の中で一番気楽だ。
ちなみにTwitterの方は更新をやめてから24時間を超えた。
質問箱に至っては確認すらしていない。私にしては珍しいことだ。
なお、幸いにして、まだ誰にも心配はかけてないようである。
「何故更新しないのか。」
私は、もう一人の私に素朴な疑問を投げかける。
「さあね、お前には関係ないだろう」
もう一人の私は、私にこう返した。
私は何もごまかしているわけではない。今まさにこのブログを書いていることからも分かるように、文章を書く意欲は失われていないのに、Twitterをやろうという気持ちはシャボン玉のように突然消え失せてしまったのだ。
それは何故だろう。と、考えること十数秒、わりとすぐに答えが出た。
冒頭に書いたとおり、このブログは人に見せることを前提としていない。
しかしTwitterは書いてすぐ後悔する。もとい、公開する。
私は誰かに対して言葉を発することに疲れてきたのだろう。
そう言えば、私はもともとそういう人間であった。
何も喋らず考えず、一人でぼんやりしている時が一番落ち着く。
子供の頃の私は、とにかく他人の存在が嫌だった。
誰とも関わりたくなかった。
他人に話しかけること、見られること、何かを強制されること、人と一緒に何かをすること、それら全てが苦痛だった。
私は保育園に行った記憶があまりない。
確か、一年のうち半分近くを休んでいたように思う。
病弱だったわけではない。
端的に言えば、ずる休みである。
普通の人は、保育園は楽しい場所だったと記憶しているのだろうか?私は保育園で楽しい思いをしたことなんてほとんどない。
繰り返すが、私は人付き合いが嫌いだった。
さらに、創造性がまるでなく、手先も不器用なので、粘土遊びも、絵を描くのも、工作も苦手で、苦痛でしかなかった。
運動神経もないから、外で遊んでも他の子のように動けず、みじめな思いをするだけだった。
唯一好きだったのは、絵本を読むことだった。
当時私が最も好んで読んだ本は今でも覚えている。
「せいめいのれきし」という本だ。
- 作者: バージニア・リー・バートン,まなべまこと,いしいももこ
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2015/07/23
- メディア: 大型本
- この商品を含むブログ (6件) を見る
小さい頃の私がこの本を愛したのは、生き物が織り成す激動の歴史の世界に没入し、人間世界から逃避できたからかもしれない。
さて、書いてるうちに眠たくなったのでここで終わる。
気が向いたらそれからの私のことをネタにまた書いてみよう。
砂漠への憧れ
休日の昼間にドライブをしていた時のこと。
たまたま聞いていた、とあるラジオの番組で、こんなお便りが紹介された。
「私は以前からサハラマラソンに参加してみたいと考えていました。今回を逃すともう参加することはできないかもしれない、どうしようかと迷っていたところ、妻と娘から『仕事を辞めてでもいいから参加しなさい!』と背中を押されたので、参加を決意しました。大変過酷なレースではありますが、理解をしてくれた家族のためにも頑張ります。」
うーむ、サハラマラソンねえ。
名前は何となく聞いたことあるが、砂漠を走るのって相当きついだろうなと思い、詳細が気になった私は家に帰ってネットで検索をしてみた。そしてたどり着いたのがこのホームページである。
いやいや、これ、きついとかそういうレベルではない。
普通の人が考えるマラソンの概念を逸脱している。
合計250kmを7日間かけて走り、その間の食料その他必要な物資は自ら背負い、途中遭難のおそれもある中、ただひたすら走り続けなければならない。
だいたい、準備物に「毒抽出用のスネークポンプ」とか書いてあるマラソン大会が、他にあるか?
こんなレースにエントリーするような人は、その時点で私とは比べものにならない強靱な肉体を持っているに違いない。それをまたさらに限界へと追い込もうとしているのである。
完全に私の想像できる範囲を超えている……。
そう胸の中で呟きつつも、私は、遥か遠い異国の、荒涼とした大地に誘われていくのを感じた。
「砂漠」
何故だろう。
そこは生命維持をもままならない極限の地であるはずなのに、厳かな、感傷的なイメージを抱く。
見上げれば高く青い空。いかに砂漠が荒涼としていても、この惑星は確かに豊潤であり、数多の命をその懐に抱いていることを物語る。
正面をみれば果てしない地平線。空と大地の繋がるさらにその先には、まだ見ぬ世界が存在し、あるいは天地創造の神髄へとたどり着ける。そう信じて、かつて人類はそこを目指し、歩き続けたのかもしれない。
するとにわかに風は砂を巻き上げ、大地の息吹きとなる。そしてそれは、生けるものに一切の温もりを与える義理もないのだと言わんばかりに無機質な絵画を描き、名もなきその地を駆け巡る。
足もとを見れば、何物かが描かれた砂の痕跡。風の仕業か、サソリがいたか、あるいは誰かがこの地を後にしたのか。いずれにしてもそれは、何もない砂漠において、時の流れを物語る数少ないものだ。
夜になれば星が輝く。
凍える夜に空を見上げ、人は何を思うだろう。
星のまたたきを目に焼き付け、瞳を閉じたその旅人の瞼の裏に描かれるのは、幻想的な神話だろうか、それとも、この大地に全ての運命を委ねた、明日の我が身か。
そんなことを考えていると、砂漠は、生命の本質を投影する舞台のように思えてくる。
この国は、私たちを取り巻く環境は、とかくやかましい。
起きたくもない時間に起き、本当に食べたいのか自分でも判らぬ食事を摂り、行きたくもない仕事場に行き、話したくないもない人と会話をし、知りたくもない新商品の広告が目に飛び込み、誰のために造られたのか分からない建物をすり抜け、本当に自分のために生きたか考える余裕もないまま一日が終わる。
そんな環境とは無縁の、何一つない世界の果て。
あるのは空気と大地だけ。
欲しいものは何も望めない。
自分がどこにいるのか分からない。
どこを目指せばいいかも分からない。
誰かに助けを求めることもできない。
そうなると、最早自分が何者かすらもどうでもよくなる。
自分はこの地球の、ほんの一欠片。それだけの存在なのだ。
胸に手を当て、自分の鼓動を感じ、今自分がここにいる証を確認する。
それだけでいい。理想だ何だと振りかざすこともなく、淡々と生きればよい。
確かにそこはいつ命尽きてもおかしくない地獄のような地かもしれない。でも、例え死んだとしても、砂に抱かれ砂に還るだけなのだと考えれば、きっと絶望もするまい。
もしかしたら、その砂漠を走り抜ける人々の動機は、自分の限界へと挑戦する、それだけではないのではないか。
何もない、誰も頼れない、そんな世界の中を体力の続く限り前へ向かってひたすら走る。
それを通じて、生きることの苦労と向き合い、人生の意味について自らに問うているのではないか。
そう私は思うのである。
まあ、繰り返すが、そうは言っても私は砂漠を走る勇気も体力もない。
今日も、明日も、安全で、極限状態とは無縁の住み慣れたこの街で、幸福な動物の真似をして生きていこう。
そう。
欲しいものがあるが手に入らない。
会いたくない人だが、できれば分かり会いたい。
生きるのは辛いが死ぬのも怖い。
どれも、砂漠には絶対に無い、幸福と不幸が表裏一体となったコインのようなもの。それを大切に握っていればいいんだ。スネークポンプは必要ない。
そして、時々、この街が砂漠にならないことを密かに願おう。
「吟味するスタンス」の由来について
前々からやろうやろうと思いつつ、なかなか書くことができなかった私のブログ。
今回、Twitterの方で私のハンドルネーム「吟味するスタンス」の由来について質問がありまして、「お、これは最初のブログのテーマにするには丁度いいんじゃないか?」と思い、ようやく記事の作成に着手する次第となりました。
何分初めてのことですので、全体的に稚拙な文章でありますことを先にお詫びいたします。
さて、私のTwitterでのハンドルネーム「吟味するスタンス」。
このけったいな名前の由来は、私がTwitterを始めたばかりの頃に質問箱への回答という形で簡単に紹介したのですが、まあ、ご存知ないフォロワーの方が多いでしょう。一言で言うなら、この名前は「夢のお告げ」なのです。
夢というのはたいてい起きたときにはきれいに忘れてしまっているものですが、三年ほど前に見たその夢は、どういうわけか今でもはっきり覚えています。
私は、何処かの国の街中にいました。と言っても、普通の街ではありません。銃声が鳴り響き、遠くからは爆発音もする、極めて治安の悪い街です。ISや反政府勢力が武力衝突を続けていた頃のシリアみたいな所だと思ってください。
私はその街の片隅で、銃を手に物陰に隠れていたのです。
その時、夢の中の私が考えていたことは「一刻も早くこんな所から出て、安全な場所で過ごしたい」ということでした。
しかしながら、銃声はひっきりなしに響いています。通りを駆け出して行くことなんて、恐ろしくてとてもできませんでした。
すると、私の近くに、私よりも一回り年上と思われる男性が銃を持ってやって来たのです。夢の中の私は直感的に「この男は私の味方だ」と思いました。その男性は私の目を見て、こう言ったのです。
「恐いか?大丈夫、心配するな。何せ俺たちは吟味するスタンスなんだからな」
そう言って、おどけた笑顔を見せると、その男は銃声の鳴る大通りへと走っていきました。
するとすぐに私も物陰から出て、その男性の背中を追って走りました。
何故か私にも走り出す勇気が出たのです。いや、正確に言えば、このまま隠れて留まってることの方が走り出すことよりも怖いような気がしたのです………。
私の夢はそこで終わりました。
目が覚めた後の私の頭の中で、男性のあの言葉がずっと駆け巡りました。
「僕が吟味するスタンスだとはどういう意味だ?その単語は私の何を指し示しているんだ?それともその単語自体に意味は無くて、ある特定の集団を示すコードネームのようなものなのか?」
どんなに考えてみても見当がつきません。起き上がってから、ためしに「吟味するスタンス」とネットで検索してみても分かりません。
夢の中に出てきた言葉ということは、私の脳が編み出した単語であるはずなのに、自分でも意味が分からない。何とも不思議な話です。
しかしその意味不明な単語が、私は妙に気に入りました。そして私はそれを自分のセカンドネームのような位置付けとして、心の中へと留めることにしたのです。
そしてしばらくの後、Twitterを始めるにあたって、私は迷わずこれをハンドルネームに設定しました。
もうちょっと親しみやすい名前にした方がよかったかな、と思うときもあります。でもこの名前は私にとって「形のない御守り」のような存在となっているのです。
私は未だにこの名前の本当の意味を探しています。
そして、夢の中のあの男性は何者なのか。
私はあの背中に追い付けられるのか。
私と男性は何処に向かい、何処にたどり着くのか。
それを今でも時々ぼんやりと考えます。
ひょっとしたら、私の日々のツイートは、それを見つけるための営みの一つなのかもしれません。